Artist/
Potter

Motohara
Reico

Artist/Potter

Motohara Reico

works

banana holder

1991 bone china
h.2.2cm w.13.3cm d.4.5cm

One day I was on the subway. A woman in a business suit took a banana out of her bag and ate it. I thought, “Bananas need respect.”
If you look closely at the bananas, they are not all the same. I bought a lot of bananas and measured them to find the average curve and waist.
It is now a banana holder made of Wedgwood bone china.
We humans are very different. One is tall, the other is thin and short, and there are sumo-wrestlers. I love bananas sitting in banana holders.

photo : takashi sagisaka

『バナナ置きによせて』

バナナを買いに行った。スーパーの入口近くに本日の特売品としてそれは並んでいた。100グラム10円である。あまり青くなく適度に熟れた傷のない房を手に取る。
6本で、84円。父が幼少の頃、高くて食べられなかった代物はいまや下等フルーツに成下がり、誰からも尊敬されない。

暮らしがどんどん便利になって何でも手に入ってしまうから、ヒトは日常どこにでも見られるような“フツウ”のものに目を向けたり、感動したりしなくなる。都会の暮らしは忙しく、情報はぐるぐると私たちの生活の中を駆抜け、立ち止まることも忘れる。
みんな、見る、聞くふりはできるんだ。

食卓の意味も形式も変わってきたかもしれないけれど、世界中どこでも食は人々のくらしと切り離せないもの。食文化をみると、その国の特徴などがよくわかったりする。食はひとつの儀式ーーーーーテーブル越しの笑顔、交わすコトバ、乾杯、誘惑そして涙も。

ゆったりと椅子に座ってみて下さい。
バナナもけっこうイカスでしょう。
確かにぜんぶ似てるけど一つ一つ違います。人間みたいに大きさも長さも色も違うけれど、同じ椅子にすわっています。
どこにでもあるバナナに“ハレ”の場を与えたい。そうしてそれが忙しい誰かの顔に小さな微笑みと驚きを与えることができたら、こんなに豊かなものはないと我ながら、思う。

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